今週の一本

ADV、ノベルゲ、サウンドノベル、エロゲ、それ以外はRPGが大好きなゲーマーのゲームレビュー兼ゲームプレイ記録です。一週間に1本のクリアを心がけます。2022.10.30〜

電気サーカス/唐辺葉介(瀬戸口廉也)

 

土曜日に家族で市立図書館に行ったら、唐辺葉介さんこと瀬戸口廉也の電気サーカスがあったので子供の絵本と一緒に借りることにした。

活字の本なんてここ最近読んでないので、どうせすぐ飽きるだろうと軽い気持ちで読み始めたらとんでもないおもしろさのモンスター小説だったので、レビューしてみることにした。以下、電子サーカス及び、唐辺、瀬戸口関連作品のネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう今更いうまでもないのだけど瀬戸口廉也といえば2004年から2007年にかけて発表された瀬戸口三部作において、00年代以降のエロゲプレーヤーにカリスマ的人気を誇るあの瀬戸口廉也さんだ。

 

氏がシナリオ担当の関連作品に頻繁に登場する3つの基本柱は

児童虐待

キリスト教

精神病

もうこれらの要素を話にまぜながら、あの独特の私小説のような語りでひどく厭世的だったり、淡白だったり、残酷だったり、自暴自棄だったりしながら、ストーリーを進めていくのが刺さる人にはものすごく刺さり、カリスマ的な人気を誇ります。

 

私はこの電気サーカスを読んで一番に思ったのはこれは瀬戸口廉也のエピソード0。この本のお話は全部ノンフィクションであってほしい、なぜなら私達が敬愛してやまない瀬戸口廉也様が本当にこんな人生を歩んできたのだとしたら、氏の作品の内容全部に納得がいってしまうからスターウォーズでどうして母親思いのかわいいアナキン少年が暗黒のフォースを纏うダースベーダーになったのかのエピソード1~3のように、なぜ瀬戸口廉也という奇才が生まれあのような怪作を世に出すことができたのかという、その前日譚のように感じ、電気サーカスを読み進めていくだけで、その答え合わせのするようなワクワク感がありました。

 

例えば幼少時代に、出産に立ち会い一匹一匹取り上げた自分と同じ誕生日だった子犬達をその翌日に実の父がそれを生き埋めにして、土に埋められながらミュウミュウと泣く子犬達に最後まで土を踏みつけていた。という虐待シーンでは、犬憑きさんでいじめにあっている女の子が犬神の呪いの儀式でいじめ加害者に復讐するために生まれた時からかわいがっていた犬を顔から下を埋めて放置して、餓死寸前の恨みがたまったところで首をはねるいう話を思い出しました。

この作品やたら動物の死の描写が多いように感じました。バイト先の厨房で捕まえたドブネズミの殺処理をどうするか困っていたら店長がそのまま生ごみの入った袋にネズミを入れ足で袋をギュウギュウと踏みつけながら、だんだんガサガサ音がしなくなるのを待っただとか、長年かわいがっていた文鳥が死んだ際にこのままゴミ袋にいれてしまおうかと一瞬考えたとか、こういう動物をかわいがっているようで、わりと残酷な描写が多く、こういうとこも氏の好きな点。この人は普通のひとだったら臭いものにふたをするようなことの事実や思いをありのままに書いてしまう人間性なんですよね。

 

 

他の答え合わせの例を挙げれば

保護と称して連れ込んだリスカだらけの中卒未成年と薬をキメて酒を飲んでインターネットにふけって二人でひたすら共依存の堕ちていくだけの毎日を送る感じが、CARNIVALの泉ルートの逃亡生活の日々を思い出しました。わたしはCARNIVALでは泉が一番好きで、あの救いがなくて、ただ堕ちるあの感じの話が好きです。

CARNIVALでいえばミズヤグチが真赤を殴ってしまった際に、タミさんと共に事情聴取でパトカーに乗せられて警察に連れていかれて、歯向かうでもなく言い訳するでもなく、もう好きにしてくださいと、取り調べで「警察行くって思ったより大したことないな。」と他人事のように淡々と対応する感じもCARNIVALの主人公が警察に行ったシーンのようでよかった。警察にお世話になったの実体験だからあんなにうまく書けるのかな笑

 

 

あと一瞬だけどキリスト教に関する言及があったのもうれしかったです。

やはりというか期待通りで瀬戸口廉也の実の母はカトリックの洗礼を受けていた。ものごころつく前からキリスト教的なものが周りに溢れ、小さい頃から聖歌を聞かされ聖書の物語を覚え、その歌や物語は好きだったけど「僕はその宗教事態には決していい感情を持っていなかった。」という一文はのちの瀬戸口作品のテーマになっていくものです。

瀬戸口廉也は自身の作品の中でやたらキリスト教を出して語りそれを理想論というような批判を頻繁にしますが、それはただ単に嫌いなのではなく個人的にどこか憧れをもって描かれているように感じていました。

今はもうないのかもしれないけど瀬戸口廉也がブログをやってる時に、真っ白でシンプルなホーム画面の自己紹介欄に「屑人間です。好きな言葉は愛。」

と書いてあったような気がするんですが、確かに電気サーカスの主人公ミズヤグチが瀬戸口廉也その人であったなら、確かにどうしようもない屑人間だなあと思うし、ここでいう「愛」というのはキリスト教アガペーをさして、自分のような人間の思考とは真逆の正反対の位置にある考え方だけど、本当は幼少期から自分の一番身近にあった永遠の憧れで本当は自分にも欲しかったもの、というような悲哀さを感じます。

瀬戸口廉也はミズヤグチがそうであるように本来めちゃくちゃ優秀で頭もかなりいい人物です。でもいわゆる芯というか中身の部分が完全に腐りきってしまっているので、社会の底辺で暮らすような生活をしていると本人も認めているように、その通りなんだと思います。

瀬戸口の文章読めばわかりますが読書量もすごく、はじめは海外文学から興味を持ったと言っていますが、日本の純文学から現代小説まですべて網羅している方だと思います。

 

 

結局じゃあこの作品の根幹というかメインの見せ場はなんのかというとボダ女、真赤との恋愛です。これおもしろいなあと思ったのが、作中でミズノグチと真赤の関係がすごく仲のいい友達のような、でも長年連れ添った夫婦のような何とも言えない関係で、あまり二人の性描写はないかのように書かれてるんでミズノグチも結局真赤のことが女として好きなのかどうかよくわからないですねはじめは

実の両親や周り取り巻く大人に虐待を受けてるという彼女をミズノグチが「僕が保護するしかない。」と仲間と共有で暮らしてるアパートに一緒に住むことになるのですが、はじめて来た日に同居人のタミさんと3人で酒を飲みながら歓迎会をやり、その中でミズノグチより先にタミさんが真赤とやりはじてしまうんですけど、やった後に「ほらミズノグチ君もどうだい?」と友人に自分がやった女とやるのを進められて、それに対してミズノグチは特に怒るでもなく、タミさんに言われた通りにいざやろうとしたら「僕がやろうとしているのでこんなことじゃない。」とこのままではただ家出少女をヤリ目で連れ込んでる悪い大人と一緒じゃないかと悔しさのような気持ちで泣いてしまうシーンがあります。はじめはミズノグチも恋とかではなく、親に虐待を受けているらしき少女を昔の自分に重ねてしまい、この子にはこんな思いをしてほしくはないし、自分のような人生の落後者ではなく真っ当な人間に育ってほしいという思いから保護してるだけだという意気込みがありますが、結局最後の方では、もう完全にミズノグチ、真赤に堕ちてます。特別な女としてハマってます。

途中喧嘩別れした際に、帰ったらやっぱりタミさんと真赤が同じ布団で寝ていたシーンに遭遇しますが、それでもタミさんに怒るのではなく真赤に怒り、女の顔をグーパンして警察に連れていかれます。この辺のミズノグチはタミさんに怒るでもないっていうのが屑すぎて面白かったし、薬と酒でトリップしすぎて本人も覚えてないくらいの度重なる奇行や警察にまで一緒に付き合っても文句ひとつ言わずミズノグチと一緒に付き合うタミさんもかなりいい人だよなあ、と思って、割とこの二人の緩い関係性も好きでした。

でも結局、最後は真赤はとんでもない虚言癖の女でミズノグチもずっと騙されていたただのピエロだったということがわかります。今でも真赤は持ち前の優秀さとたくさんの男たちを渡り歩くサークルクラッシュ術で明るい世界でたくさんの活動しています。というようなしめくくりで物語が終わるのですが、結局最後は馬鹿な男が自分の思いあがりで、出会った男すべて狂わすガールにしてやられてしまいましたという現実さもよかったです。

 

私たちが崇拝してやまない瀬戸口廉也様がこんな幼少時代を過ごし、ライターとしての礎となったテキストサイトを運営していたという事実、怪しげな仲間達と共同生活を送り、酒を飲み、精神科に嘘ついて薬をもらいに行き、自殺未遂もしたし、仕事をはじめてもすぐバックレてやめたり、やったりを繰り返したり、精神病棟にも入れられたり、と破天荒な人生を送ってきた様が描かれたダウナー青春モノの名著です。